当地、亀岡には数多くの伝説があります。大国主の国譲り伝説をはじめとして、様々な逸話が伝わっています。また、自然現象である雲海の発生などは神秘的であり、まさにパワースポットにふさわしい地といえます。この地の伝説の一部を以下に挙げました。
この地の出雲大神宮は丹波国一の宮で和銅2年(709年)の創建。別名『元出雲』ともいわれ、『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。つまり、この地こそが本来の出雲という地名であるということ。大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の御神格を祀る「丹波國一之宮 出雲大神宮」の境内には御神水としての「真名井の水」があります。
昔々ある夜、村人が森の中を歩いていると、その先に怪しく輝く光を見つけた。狐狸の仕業と思い村人が矢を放ったところ、手応えがあったようなので次の朝行ってみると、獲物はなく千手寺まで血が流れて続いていた。本堂の観音様の左目に矢が刺さっているのをみつけ驚いて矢を抜き罪を詫び末代まで弓矢を持たないことを誓いました。これは殺生する男の行為をやめさせようとした観音様の戒めただったのです。それ以来、この寺に湧く水が眼の病に良いとされ「お香水(こうずい)」として信仰されています。
鎮守の森に棲み着いていたヒヒが村の生娘を求め、娘のいる家の屋根に白羽の矢を立てた。ヒヒを神の化身と恐れる村人たちは娘に白装束をつけ長持に入れて社殿に奉納してきた。しかし、ある夜、通りがかった武将が娘の身代わりとなり、ヒヒを退治し、村に平和が戻ったという伝説。境内には、長持を置いたとされる台石がある。また、名水のひとつとしての湧水がある。
学問の神様として知られる菅原道真公の近臣に、ヒエ田野町の鹿谷に生まれた高田若狭之介正期という忠義者がいました。道真公が左遷させられる時、彼は道真公から形見として長年寵愛した桜樹を賜りました。それより300年後、寺の守護神としてその桜樹を境内に植え替えたところ、奇怪にも桜樹の下の岩に桜の花びらの形が現れました。神慮により、桜の樹は枯れるので岩石に花の紋を残されたと伝えられます。これは現在、「桜石」(正式には「菫青石仮晶」)と呼ばれ国の天然記念物に指定されています。
大国主命の息子である5人兄弟の一人、木俣の命が保津川を亀に乗ってきたが、途中の急な流れのために鯉に乗り換え河原林町勝林島まで来られた。通りがかりの大工が「どなたさまですか」と尋ねたところ、大国主命の子と知るが、京都への旅の途中であったことから、必ず戻って社を建てることを約束する。数日後、木俣の命が同じ所におられたので、そこに社を建ててお祀りをしたという伝説。